| あまりにもの大きな被害に、世界規模での義援金を必要とされる中、当ボランティア協会としても少しでも被災した人々のお役に立ちたいとの意見が早々に出、そんな中、生きた救援をしたいとの思いから、現地の現状を見、現地の人の本当の声が知りたく1月10日現地へと向かった。
マレーシィヤを経由しマドラスでインドに入国。南インドの東側、ベンガル湾からインド洋に面する被害が大きいとされる海岸を、車で南下することとした。
海岸沿いの砂浜には1Kmぐらいおきに青色のビニールシートが設置され、その数は、集落ごとか20~100位とさまざまながら点在していた。中でもイギリスの国旗が表示された立派なテントが張られた所もあり、100Km位走っても日の丸のは見つけることが出来なく、少し寂しくもあった。
途中、100以上あるであろうテントの集落場所へと分け入ってテントまでドライバーに案内してもらった。青いビニールシートでできた一つのテントには家族単位に約10人以上が住んでいた。中は想像通りの混雑、煮炊きは外に大きな釜が何個か設置され、長い机の上には、野菜が少しづつだが並べられ、女の人たちが調理していた。津波の後遺症か、テントでの生活からのストレスからか、真昼というのに子供たちの声もなく静まりかえり重苦しい空気が流れ、どの人も子供たちさえ目の輝きを失っていた。
集落の人々は、漁師たちがほとんどとのこと、船も家も全て津波にさらわれてしまったという。海辺はインドの漁村独特の魚の死んだような匂いもなく、砂地は綺麗だった。(潮流によってこの様な所もできたという)津波はゴミも匂いまでも持っていったのだろうか。そして子供の命さえも。
私たち(ドライバー、通訳、筆者)を見つけ、7人の中年の男を従えて集落の長老らしき人が現れ、彼等に案内するよう促した。
色々尋ねて見た一部ですが、
"ここは約1500人程避難しています"
"衣も住も食も今は助けられて大丈夫"
"しかし、今とても心配なことがある、それは、いつになったら仕事が出来るようになるかという不安です、私たちは皆、舟で魚を取る仕事をしていたが、舟も網も全部津波に持っていかれてしまいました。舟がなければ私たちは仕事がなくどうにも出来ない、希望のない生活はとてもつらい・・"
大人の男の人たちは涙を浮かべながら話した。
『人にとって最大の不幸は希望が持てないということである。』
男の人たちの言葉と上記の言葉とがダブってそのつらさを深く共感した。
この人たちの必要とされる舟は一隻約12万RP(約36万円)それを40隻といっていたが最低20隻だけでもいい、少しでも早く欲しいとのことだった。
さすが、港町だけあって舟は発注してから一週間位で出来るとのことだった。
舟といってもボートにエンジンがついた程度のものだと思われる。
「政府からの支援はどうなっていますか」と尋ねると悲しげな眼をして
"何時になるか分からない、無理だと思う"
首をうなだれてポツリと云った。
お国事情を持って分かる気がする。今まで幾度と足を運んでいる国であるから。
今は乾季、でもやがて雨季になる。そしたらどうなるんだろう。世界各地から寄せられる義援金や物資、ここに来て現地の人たちもの本当に望まれる支援とは何なんだろう、そんな疑問の解消は滞在4日間にはあまりにも時間が少なかった。
しかし訪れた MURUGAN PERIYAKVPPAN KARIKKATTUKUPPAM MUTTUKKADV の地は被災された多くの中から私どもに啓示された地なのかもしれない。
一日も早い復興と、希望の日が来ることを心から祈りながら、金額の多さから、約束を伝えることが出来なかったが再び訪れることを強く願いながら現地を後にした。
今、あの人たちへのあふれんばかりの切ない思いを抱きながらも、つたない報告しか出来ない筆者の文章力に不甲斐なさを感じつつも、添付の写真を持ってご理解いただき、被災した人々の胸中をお察し下さいますようお願いいたします。
※ 追
街灯もなく夜は漆黒の闇となるテント村、100ケの懐中電灯を届けたいと通訳に伝えたところ、「懐中電灯の電池が切れてしまえば次の新しい電池を買うのは無理ですからあまり喜ばれないと思います。」又、衛生上ポータブルトイレの設置は?と尋ねると、「この土地の人たちは海で用を足していますから」とのことでした。せめて子供たちに少しでも元気になって欲しいと願い、少ないポケットマネーから皮製のサッカーボール10ケと古本100冊を届けて来ました。

( 写真・現地の新聞より)
|